こんばんは。物語を考えているときはやっぱりこだわりが出てしまうお話。
こんばんは、夜永ハルです。
昨日の記事も、すでにたくさんの方に読んでもらえていて、とてもうれしく思っています。
私の、東京に来てからの事から
私の価値観や、こだわり。
そんなお話をさせていただきました。
要約すると、自分がプロだと思っているのならプロだし、プロの仕事を一生懸命やるんだってことなんですけどね。
そんな、プロのお話として、私は、物語を書く際にはやっぱりこだわってしまうことがあるんです。
それは、キャラクター達に初登場時からそれなりの不幸を抱えさせること。
それは、簡単に言えば、失恋をした状態だったり、親が亡くなっていたり、殺してしまっていたり、病気を抱えていたり、記憶がなかったり、、、
こういう者を私は、キャラクターへの負荷と読んでいるのですが、この負荷があるとキャラクターは負荷がある故に、それを解消しようとしたり、反発したり、選択を間違わらせることが出来ます。
反対に、その負荷があることによって、別のキャラクターがその負荷を解消してあげようという動きができ、悲劇のヒロインを救うヒーローのようなお話が出来たりします。
これは、先ほどこだわりといいましたが、考え方を変えてみれば癖のような物かもしれません。
ですが、この負荷によって役者のお芝居により彩を与えることが出来るんじゃないかと私は考えています。
簡単に例えますが、
ただ歩いているだけの人がいれば、それはただ歩いているだけの人にしか見えないでしょうし、それは何も面白くありません。
ですが、その人が、今にも暴発してしまいそうなほど、限界に達した腹痛に襲われているとしたらどうでしょう。
その人の歩くという動作は、おそらく苦痛に顔をゆがませながら、お腹を押さえ、脂汗を流しながらよたよたと歩くという風になる事でしょう。
そして、トイレを探してあたりをきょろきょろしたり、最悪、そのあたりで済ませてしまおうか、でも周りにはまだ人が……。
このように、ただ歩く人間に、腹痛という負荷を与えただけで、ストーリーが出来上がりました。
それも、観客として見るだけであれば、それは面白おかしく映るでしょう。
つまり、コメディというジャンルにも確立されたのです。
本人は、いたって真剣にその場をどうしようか常に頭をフル回転させながら歩いていることでしょう。
でもそれは、我々傍観者の立場からしたら、滑稽な姿なのです。
キャラクター一人に対して負荷を与えただけでここまでにあるのですから、それが何人もとなればその効果は絶大です。キャラクター達は皆、必死にもがき苦しみながらストーリーを進行させてくれます。
もう一つこだわりがあります。むしろこちらの方がこだわりとして強いかもしれません。
私の今の作風は、日常の中にひっそりと訪れるファンタジーです。
過去の作品からすると、
何気ない普通のカフェにいる幽霊だとか
人間の過去の記憶を見ることが出来る本を所蔵している図書館の管理人だとか
そういう、剣や魔法のファンタジーではなく、この現代社会にほんの少しだけ関わり、物語を展開させるファンタジーなキャラクターと世界を作り出しています。
私の物語は、面白いことにそのファンタジーがなかったとしても人が何かしら、例えば本だとか、youtubeの動画だとか、はたまた別の現実的なきっかけで主人公たちが立ち直っても、成立するのです。
それをなぜ、わざわざファンタジー要素で行っているのかというと
それは、私にとって物語が現実から逃げるためのものだから
私の選んできた職業は世間一般で見れば、博打であり、将来を見据えていないでしょうし、現実を見ていないと言われれば、まぁ、その通りでしょう。
実際に、全く関係のない第三者から、いつまでそんなことを続けているのかといわれたこともあります。
こういうセリフは、身内よりもそういう第三者から言われることの方が多いほどです。
私はいつも思っていました。仮にその言葉を受けて
そうだね。いつまでもやってるわけにはいかないよね。
と夢を諦めたとします。
しかし、昔、ある作品でも言われていた名言ですが、
夢というのは呪いです。その呪いは夢を持ってしまった時点で一生消えることはありません。
諦めたとしてもです。
夢を諦めた私は、きっと、映画を見たり、小説を読んだりした時、諦めたことを後悔すると思います。
その後悔がストレスになり、仕事がうまく行かず、自殺をすることを選ぶかもしれません。
極論ですが、未来は分かりません。そうなる可能性が0%だと、あるわけがないと言い切れますか?
もしそうなったとき、あなたの言葉で私は夢を諦めて死んだんだ、責任を取れと悪霊になってたたるかもしれませんね。
何が言いたいかというと、夢を諦めさせた先の人生の責任を取れないのなら軽々しく他人の夢を否定しない方がいいということ。
自分で選んで、結果、夢もかなうことがなく、貧乏な生活を続けていたとしても、それは自分で選んだこと。まだ納得が出来ます。
人は死ぬときに、もっと自分のやりたいことをやればよかったと後悔する人が多いらしいです。
だったら私は、やりたいことをやっていきたいと思うんです。
話がそれましたが、現実というのはそれだけ辛いことが多い。
だったら、娯楽で見る物語ぐらい、現実ではないことがみたい。今の辛い現状を不思議な存在が助けてくれるかもしれない。
私の作品を見た人にはそんな希望を持ってほしいんです。
逃げたっていいじゃないか。逃げるのはもう一度戦う為なのだから。