夜永ハルの執筆 blog

作家、劇作家、ストーリーテラー。物語を書き続ける。

おはようございます。夜永ハルです。時事ネタについて考えてること

おはようございます。夜永ハルです。

今日の散文は時事ネタについて。

 

現在私は大体7本ほど脚本を書きました。

 

しかし、初めから脚本を書く勉強をしていたわけではありません。

以前の記事でも書いたように昔ヒーローショーをしていた時に初歩の初歩の勉強を少し下程度です。

 

始めの2作品程度はなんとか自分の持っているもののみでもスラスラかけていました。

ですが、3本目あたりからでしょうか、だんだん各スピードが落ちてきたのです。

 

今考えれば当たり前の事のように思います。所詮20年そこそこしか生きておらず、人生経験もさしてない若造だったのです。自分の中にある物語では限界があります。

 そして、その自分の中にあるわずかな物語をすくいとる技術も持ち合わせていなかったのです。

そこから脚本の技術書を買いあさり読み漁り、自分の中の物語を小さじ程度でもすくいとり原稿に落とし込むことが出来るようになりました。

 

しかし、それもやはり限界がありました。

物語をすくえばすくう程、取り出すことのできるものは浅くなり、上澄みしか引き出すことが出来ず、最後まで書きあげてみればなんてことのない、物語の無い物語が出来上がっていたのです。

 

何も考えてない主人公、意味もなく起こる出来事、物語に必要のないキャラクター、都合で生み出されたキャラクター。

 

そんなものは本の段階で読んでもやはり面白くはありませんでした。

もしかしたら、俳優と演出家の手により少しばかりは面白くなったかもしれません。

 

しかし、それであるならば私が脚本家として存在する理由なんてあるのでしょうか。

誰でもいいはず。物語の体さえ保っていれば。

物語が起こり、終わる。それさえできれば誰でもいいはずなのです。

 

その状態でパソコンに向かい合っても、何も生み出すこともできず、ワードの画面を開くことさえ恐ろしくなります。

 

私は、youtubeを見ることが好きなのですが、当時はゲーム実況しか見ていませんでした。楽しそうにゲームをしている姿を見て私も一緒に楽しんでいた物です。子気味のいい会話を聞き、ゲームの展開と実況者のプレイにハラハラしてみていました。

ある日、原稿が進まない現実から逃避してyoutubeを見ていた時、たまたま考察系youtuberの動画を見つけたのです。

その時に見たものは何だったかもう思い出せませんが、そのyoutuberは都市伝説から時事ネタ、過去に起こった悲惨な事件など数多くのコンテンツを取り扱っていました。

一家惨殺の事件だったでしょうか、犯人がすでに捕まっているものです。

 なぜ犯人がそんな行動を起こしたのか、事件の背景、人間関係、いろいろな物を買施設していました。

 

それをみて私は、ああ、なるほどな。と思いました。

 

実際に起こる出来事は私が原稿に落とし込んでいる物語とは比べ物にならないくらい様々なことが理由で起こっているんです。

それぞれの人間に理由があり、それぞれの人間に物語がある。

彼の視点で見れば彼はやはり主人公なのでしょう。

 

本を書いていると、どうしてもこのキャラクターにはこのセリフを言わせたいということが往々にして起こります。

しかし、キャラクターの視点で考えてみるとそんなことを言うはずもないセリフだったりするのです。

 

つまり何が言いたいのかというと、時事ネタを掘り下げていけば掘り下げていくほど、脚本の参考になるのです。

 

昨今世間をにぎわせている統一教会にしても同じことです。

統一教会の成り立ちから、それを信仰する信者たち。

掘り下げていけば掘り下げていくほど、そこには人間的問題や、感情が存在するのです。

先日amebaTVの討論番組で、2世信者の方々が番組に出演しなぜ信者でいるのか、現状をどう思っているのかなどを語っていました。

この問題に対してまだそれほど掘り下げてはいませんが、印象としてやはり同調圧力だったり、現実に辛い目に合い信者でいたり等様々な理由があるようです。

 

そういう物事こそ、物語の参考になりえます。

時事ネタに関わる人間に焦点を当てて掘り下げ、似たような境遇と思考のキャラクターを生み出し、物語に登場させる。

そうするとどうでしょう。上澄みのみで作られたキャラクターよりも圧倒的に人間らしいキャラクターとして物語を生きてくれます。

 

結局、物語に人間を登場させる以上、そしてそれを人間に見てもらう以上、可能な限り理解可能な人間を作り出す必要があるようなんです。

もちろん、そうでない場合もありますが

 

私は別に統一教会の信者でもないですし、それに対して何がいい、何が悪いというつもりはありません。

先日の安倍元首相の国葬問題にしてもそうです。

別に反対でも賛成でもありません。そこまで深く考えてはいません。

 

しかし、物事の中で人間というのは面白いもので行動を起こすには何かしら理由があるようです。それは、単なる正義感かもしれませんし、お金の問題かもしれません。すべての人間は何の理由もなく行動することは内容です。

 

眠たいから寝る。お腹が空いたからご飯を食べる。

 

それをどんどん複雑化した理由を作り、行動していくのが人間なのかもしれませんね。